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三十路女のくだらない日々。


by kutuganaru
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第3話

「ぼん、あたしにも、牛乳」

 千代は、ぼん吉の方を見ずに、言う。
 仰向けになったまま、固まった足首をゆっくりとほぐす。
 ぼん吉は、何も言わずにキッチンに立つと、冷蔵庫から1リットルの
牛乳パックを取り出し、流しの下の戸棚から、一番小さい鍋を引っ張り出した。
流しの下は、大きさの様々な鍋やボール、ざるなどが混在している。
 だけど、ぼん吉は、鍋やらボールやらを一つも落とさずに、上手に一番小さい鍋を
選びとった。
 洗濯物は、倒していたのに。

 小さい鍋に、牛乳をとぼとぼ入れて、ぼん吉は火をつける。
慎重に、火の大きさを整える。最初は中火。それから、弱火。
消えないギリギリの火の大きさで、しばらく鍋の中をじっくりと観察し、
小さな泡が浮き上がってくると、火を止めた。
 その間、一度も目を離さない。まるで、実験中の、科学者みたいだった。
大きな眼鏡が曇るたび、トレーナーの裾で、ごしごし擦った。

 食器棚の中で、一番大きなマグカップを選び、ぼん吉は鍋から直接、注いだ。
 たくさんこぼれたけど、マグカップの8部目で、ちょうど良かった。

 注ぐときに縁にたくさんついた、温かくべたついた牛乳を、台布巾で丁寧に拭いて
千代の前に置く。
 
 ほのかに甘い匂いと、カップを台に置く時のゴトン、という鈍い音に、
仰向けになった千代はのっそりと起き上がる。
 カップを拭いたのが台布巾であることも、冷蔵庫の牛乳の賞味期限が
4日過ぎていることも、千代は知らない。
 ぼん吉が牛乳の賞味期限を確認して、ちょっと迷ったけれど火を通すから
大丈夫、と考えたことも、温めている間中、腐った匂いがしないかと、鼻に
神経を集中させていて、その小さな鼻がぴくぴく動いていたことも、千代は知らない。

 だから千代は、
「あったけーー」
と、マグカップを両手で包んだ後、冷えきった耳や鼻にあてて、それから
ごくごくと威勢良く飲んだ。
 ぼん吉が、丁寧に観察していたから、千代は下上あごも、火傷しなかった。
by kutuganaru | 2009-01-31 01:15