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三十路女のくだらない日々。


by kutuganaru
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匂い

キンモクセイの匂いが、とても強くて、ついうっかりしてしまった。
こういう日が、一年に、何度かくる。
鼻がかゆくなるくらい、頭が痛くなるくらい、強く強く香る夜には、あの子の事を思い出さない訳にはいかないのだ。

14歳になったばかりの11月。2週間だけ、私のクラスに転校して来た、風の又三郎。

一度も口をきかなかった。
目も、合わなかった。
すれ違う事も、ほぼ、なかった。

ついうっかり机の上の消しゴムを落としてしまい、「ごめんね」という事もなければ、帰り道、すれ違い際に「ばいばい」という事もなかった。

彼が引っ越して行く前の日の夜。
キンモクセイが強く香っていて、私は一人で、商店街を歩いていた。
又三郎(本当は違う名前だったけど)を見た。
彼は、店じまい直前で、店内に人影が、ほんの一瞬なくなった八百屋さんの、みかんを一つ、盗んだ。
「あ」
思わず小さく声をあげた私を、彼が振り返ったので、私たちは初めて目が合った。

最初で最後だった。

彼は何も言わずに、私のことなんて知らないかのように、前に向き直って、軽やかな足取りで去っていったので、結局言葉をかわす事は、一度もなかった。

又三郎は、たぶんありふれた顔をしていたので、もう顔を思い出せない。
言葉をかわしたこともないので、声も思い出せない(というか、知らない)。
背が高かったかも、太っていたかどうかも、わからない。
私が思い出せるのは、あの去り際の、軽やかな足取りと、右手でポンポンやられていた、まだ青みがかったみかんだけだ。

だから、一瞬しか思い出に浸る事もないんだけど、どうして気分が滅入るかと言えば、万引きを止めなかったから、というわけではなく、あのとき、せめて「あ」とでも言い返してくれれば、きっとその声を忘れなかっただろうなあ、と思うと、なんだか無性に、悔しくなるからなのだった。





今日は2本「神童」(松山ケンイチに大満足。ピアノの音でリラックス)
     「歌謡曲だよ、人生は」(久しぶりにあんなつまんない映画みた・・・)
# by kutuganaru | 2007-12-12 02:00

テーマ「声」

留守番電話に、メッセージが入っている。
「お話がありますので、気がつきましたらかけなおしてください」
男性の、よく通る、耳を撫でる風のような声だった。
そのような魅力的な声であるにも関わらず、お話、などというのが、すこしおかしい。
気がつきましたので、かけ直すべきなのだろうが、なにせわたしは、この男性を知らない。
携帯電話に残っている番号は、見た事がないものであるし、第一こんな美しい声を一度聞いたら、忘れられるわけがないのだ。
どうしよう。ここでわたしは迷う。
こんな美しい声が、私に向かって話しかけるのなら、それはぜひ聞いてみたい。私に対する、お話、はないだろうが、間違い電話であることを伝えるべきである。
しかし、こんな美しい声を前に、私はうまくしゃべれるだろうか。
きちんと、間違い電話であることを伝えられるのだろうか。
自信がない。
でも、お話、が急ぎの用件だったらどうしよう。
こんなすてきな声の人が困っていることを考えると、どうにも落ち着かない。
迷った挙げ句、私はかけ直すことにした。
リダイアルの、知らないその番号を表示し、通話ボタンを押す。
知らぬ間に手に大量の汗をかいており、ボタンを押す手が少しすべったが、なんとかディスプレイの表示は点滅した。
今、私の携帯電話から、声のきれいなあの人に、目に見えない電波が飛んでいく。
電話を耳に当て、わたしは見えない電波を目で追うように、空を見上げる。

電話は繋がらなかった。正確には、話し中であった。

わたしは、声のきれいなあの人の、お話、は、伝わるべき人にきちんと伝わったんだなあ、となぜか確信した。
伝わるべき人はきっと、長い髪のきれいな、女の人であることも、なぜか確信した。
それで、先ほどの電波をたどろうと、もう一度空を見上げるが、そこにはもちろん、何もなかった。先ほどから、何もなかったのだ。

ただ、遥か彼方に、横向きにまっすぐ走る、一本の飛行機雲が見えるだけだった。

肉まんを買おうと思っていたのがだが、急遽あんまんに変更して、コンビニへ急ぐ。





今日の一冊「推理小説」秦建日子
# by kutuganaru | 2007-12-10 20:59

私の中の物語

先日、とある知人と話していて、私は現実を現実として受け止める人間であることを指摘された。
まあその通りなんだけど、そして相手にそんなつもりはなかったらしいけど、自分がひどくつまらないリアリストに感じられて、ちょっと、あぁあ、と思った。
でも今日になってよくよく考えてみれば、それはわたしの努力のたまものなのであった。
そのことに思い至り、私はすこし、安堵した。

だいたい私の妄想力はマイナスの方にばかり働き、私を落ち込ませるだけのものなのだ。
しかしそもそもなんでそんなマイナスの妄想力が鍛えられたかと言えば、それは私のロマンティックで少女漫画じみた妄想の賜物なのであった。
少女漫画で育ち、シンデレラストーリーを妄想することを楽しみとしていたが、それを自らの生活に当てはめてしまうと、それはもうどうしようもない。
相手は漫画なのだ。フィクションなのだ。
かなう訳がない。
それなのにがっかりする。悲しくなる。そんなの耐えられない。
キーーーッ

というわけですっかり疲れてしまった。

疲れてしまったので、やめた。やめて、マイナスの妄想をしてみた。
割と楽だった。
たいていの事が妄想よりも良い方に進む。
だけど、自分が、どんどん貶められていくようで、なんだかちょっとだけ、あぁあ、だった。
ちょっとだけのあぁあ、はどんどん溜まって、だんだん息苦しくなってしまった。

というわけで、結局やめた。

残ったのは現実を現実として受け止めること。

コンビニのおでんを今年初めて食べたら、おいしくてうれしー
バイクに乗ってて途中で雨に降られたら、寒くてむなしー

コンビニ店員と恋に落ちるかも、とか、雨に降られたのは、行き急ぐなっていう神様の思し召し、とか、そんなこと一切考えない。

それが一番楽しくて、らくちん。


今日の一本「インストール」(出演:上戸彩、神木龍之介)
今日の一冊「ほかの踊りを知らない。」川上弘美

昨日は、伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」
一昨日は「ラブ&ポップ」(映画版)
# by kutuganaru | 2007-12-09 23:31

気分の音が、ガラリ

このところずっと、刺激を求め、悪夢を観て、ざわついていた心が、ふっと、ため息を付いたよう。
肩の力が一気に抜けたよう。
もちろん日に何時間もパソコンに向かっているせいで、実際の肩はこりっぱなしなんだけど。
静かな森の世界に吸い込まれ、霧がかった山を感じ、生と死を身近に感じる瞬間。

「モガリ(漢字が出ないし・・・)の森」

正直さっぱり意味が分かんなかったし、森がすべてを包み込む感じや老い行く残されたものの悲しみや虚しさのようなものをほんのちょっと感じ、心がものすごく静かになっただけで、終わった。
これで良いのかなって思って、不安になって、パンフレットを立ち読みした。
それで、これで良いんだなって思った。
読解力とか理解力のない私は、好きな小説を読んでも映画を見ても、行間を読む事がなかなか出来ない。
だから感想はいつもありきたりで当たり障りのないものになってしまう。
でもそんな私でも、全体に流れる雰囲気を感じることは、出来る。

映画の良さは、雰囲気につきるのではないかなと、私は思う。
自分の気分が、その雰囲気によって、楽しくなったり落ち着いたり、する。
それに至らない映画、つまり自分の気分にまでは影響を及ぼさない映画を、私は物足りないと感じるのではないのかな。
影響を受けやすい私は、コメディーを見ては楽しい気分になり、ホラーを見てはしばらくその恐怖が抜けず、青春映画を見ては爽やかな頃を思い出す。
今の気分に最適な映画を見たときに、当たった!と小さくガッツポーズを取りたくなる。
今の気分を、今より良いものにかえてくれる映画を見たときに、ほっと胸を撫で下ろす。

私はこのところ胸がざわついていて、なんだか落ち着きがなく、少々居心地が悪かった。人に迷惑をかける行為や、人の気持ちを考えない行為も、した。
そんな私の気分をがらりと落ち着いたものにかえてくれたのが、この作品かもしれない。
今日はこれから「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見に行きます。
大事な卒論を後回しにしても、今の私に必要なのは、この、単純きわまりない、ともすればイライラする人もいるだろうくらいまっすぐな、言ってしまえば安っぽい感動なのだと感じるからだ(分かりずらいと思うけど,褒めてます)。

あ、もちろんその後、卒論もするよ!
お父さん、お母さん、あたし絶対卒業するからね!
# by kutuganaru | 2007-12-05 11:17
たしかにその通りっすよねー
むやみやたらに人の事嫌ったり、万が一嫌いになったとしても、嫌いだからといってむやみに傷つけちゃあいけないよね。
とか思っちゃったよねー何年かぶりにみた『バトル・ロワイアル特別編』
怖いし、夜眠れなくなりそうだし、見たくなかったんだけど、切羽詰まってみましたよ。卒論のためにね。
あらかじめ関連文章読んでから臨んだから、前とは違う見方が出来たのかも知んないけど。例え殺し合いになんなくても、こういうことって、概念的には日常生活にあることなのかもしれないなー。
ちょっとしたことで友達のこと信じられなくなっちゃったり、勘違いから仲違いして、もうもとに戻れなくなっちゃったり。
ま、さすがにこの年になればそういう事もなくなってきますけど、中高生のときってまさにそんな感じだったなー絵に描いたような反抗期過ごしちゃったもんで。
人の事信じればいいってもんでもないし、疑えばいいってもんでももちろんない。
強けりゃ良いってもんでもなければ、弱ければ守ってもらえるわけでもない。
運ももちろん必要だし、タイミングとか、普段の行いとか、潔さとかいざという時の決断力とかいろいろ必要だけど、でも別に私たちは今すぐ殺し合いを強制されるわけじゃないし、普通に、楽しく、人の事と自分の事をバランスよく考えながら、ちょっとくらいは損得の事とかも考えながら、大事なものを大事にしながら生きていけばそれなりにハッピーなんじゃないすかね。
それにしても、この作品見て犯罪とか思いつきますかね。
まあ思いつく人は思いつくんだろうけど、そしてその可能性がある限りある程度の制限も必要なんだろうけど、これを見て得るものと、どちらが大きいのかって話だよね。
ま、ちょっとグロすぎてあたしにはぎりぎりのラインですけどね。そしてちょっと話題性狙い過ぎの感は否めないけどね。
でも世の中が意味わかんなくなってる今現在を映し出してる面もあるってことを、忘れちゃ行けないよね大人のみなさん。
たしかに子供はよくわかんなくなってきてて、制御不能になってるけど、そしてそれを隠すのもかなりうまくなってるけど、どの時代でも子供は大人を見て育つんだよね。子供も大人も認めたくないんだと思うけど、だから子供とも大人ともつかない私みたいな感じの人にしかよくわかんないことかもしんないけど、やっぱそれはかわんないわけよね。それだけは忘れちゃいかんよね。
金八先生のやり方は、わざとらしい上に、なんかいじめっぽくて、なんで生徒たちあんなに素直なんだろーって思うけど、でもそれ納得しちゃう面が有るってのはやっぱ金八が愛情に満ちあふれてるからなんだよねーきっと。
その愛情がどんなにうさんくさくても、やっぱ本物なんだろーなー

ドラマだしね。

ガリレオ始まった。
# by kutuganaru | 2007-12-03 21:03