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三十路女のくだらない日々。


by kutuganaru
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批判精神の喪失と再生への希望。

これでもわたし、割と読書が好きだったりします。
もっぱら小説しか読まないし、肌に合わない本は途中で読むのを止めてしまったりするけれど。

映画もとても好きだったりします。
有名な作品を見ていなかったり、有名な監督を知らなかったりもするけれど。

他人の創作の波に揺られ、その文章の湖に、映像の深海に溺れる。
その感覚に病みつきになり、いつしか自分でも創作することに憧れているのです。

しかし、じゃあ何で表現するのか。
何を表現するのか。

大学生の頃、私は写真で表現していた。
文章を書くということで褒められて、気をよくして小説まがいのものを書いたこともある。
高校生の頃を遡ってみれば、一瞬は映像を作ろうとしていたこともあったし、
実は音楽をしようと試みたこともある。

でも結局は、どれもうまくいかなかった。
自分の作品に満足したことなど、ほとんど一度もなかった。
そしてそれを、私は「技術不足」「向いてない」というありきたりな言葉で片付けていた。

でも、本当は違う。

私には、表現すべきことが特になかったのだ。


『「鍵のかかった部屋」をいかに解体するか』で著者はこんなようなことを言っている。

ポップカルチャーの担い手は自分が読みたいと思う小説が存在しないことに欲求不満を覚え、
だったら自分で作ってやる、という思いで書いている。

現状に満足していない者が、もっと面白いもの、もっと素敵なもの、と貪欲に突き進んでいるから、
ポップカルチャーは進化し続けているのだ。


これでも昔は、批判精神の塊のような人間だった。
中学生のころは反抗期もあいまって、世の中の大半の事に不満を持っていた、ような気がする。

そしてあるとき、その全てがなんとなくめんどくさくなってしまった。
文句なんていっていても、どうせ自分で変えることなど出来ないんだし、
だったら不満なんか持っているより、楽しく生きていけばいいじゃない?と。

おおむね、悪くはない考えだったと思う、
でも、そこで私は大切なものを失くしてしまったように思う。

批判したり、不満を持ったりする事は、結構体力がいる。面倒くさい。疲れる。
それに引き換え、色々なことにある種の諦めをもって、なんでもそこそこで満足するということは、楽だ。
その楽ちんさに、私は身を委ねてしまった久しい。

しかし、平和で楽チンな日々の中から、強い想いは生まれない。
表現なんて生まれるわけがない。
仮に生まれたとして、それが誰かたったの一人の人の心さえ、動かすことは決してない。
そして、誰の心も動かすことのない表現なんて、無意味だ。
いや、無意味と言ってしまってはいけないのかもしれない。
いやいや、そんなことやっぱり関係なくて、無意味だとここはあえて断定しよう。


私のような人間は、別に表現などする必要がないのだろう。
しかし、私はそれでいいと思っていない。
今一度中学時代の批判精神を取り戻せ、自分。
強い、強い想いに突き動かされて、悩め、苦しめ、疲れろ、自分。

考えろ、考えろ、考えろ。
by kutuganaru | 2011-02-11 17:22